平成21年2月5日
幕末志士の「政治力」


瀧澤 中
ISBN 978-4-396-11143-4
祥伝社新書 (800円+税)

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著者からのメッセージ

 お読みになる読者のみなさんへ

 数年前に友人に誘われて、函館に行った時のこと。
 泊まった宿所の目の前に小さな公園があり、何気なくそこに立っている看板を読んでみたら、そこが「弁天台場」であったことが記されていた。

 弁天台場。
 箱館戦争最後の激戦地で、新選組はここを死守しようと懸命の戦いを展開した。
 実はその函館に行く前の年、箱館戦争を最後まで戦い続けた新選組隊士二人を取り上げて、本にまとめた(『昭和を生きた新選組』)。二人は戊辰戦争後アメリカに留学し、帰国してから一人は一橋大学の前身「商法講習所」の設立に関わり、もう一人は三菱長崎造船所の初代所長となって、日本の近代化に尽くした。
 死に物狂いで戊辰戦争を戦い、戦犯となり、国内に居場所が無くなってアメリカに渡り、苦学の末帰国して再び国のために尽くそうとした二人。
 彼らが新選組に入っていた期間は、わずか一カ月間であった。しかし、新選組古株の島田魁らと共に弁天台場で奮戦し、ついに箱館戦争の終結まで戦い抜いたのである。

 もしその公園に案内板がなければ、ただの街中と変わりない。いまはそんな雰囲気だが、一四〇年前にはたしかにここで戦争が行なわれたのである。
 筆者は、公園のベンチに腰掛けて、一体、あなたたちはなぜ戦っていたのか、どんな思いでいたのか、と問いかけてみた。もちろん、応えてくれる人はいない。

 また、鹿児島の城山では、西郷が籠もっていたというほとんど奥行きの無い洞窟というか穿たれた穴を見に行った。
 西南戦争最終局面。西郷は戦死を覚悟で、その洞窟から政府軍目指して突撃した。
 撃たれて倒れるまで、数百歩。
この時西郷は何を思い、どんな気持ちで歩いていたのかと問うてみた。しかし、やはり応える人はいない。

 京都の壬生にある新選組の屯所を見た時も、芹沢鴨が斬殺された薄暗い部屋で、おそらくは刀を振りかざしていた近藤や土方の面影を追ったが、現れるわけもない。

 建物や記念碑が残っていても、そこに彼らは存在しない。しかしながら、彼らの生きざまははっきりと存在し、それは触れることはできなくても、この目で見ることはできなくても、彼らの息吹を感じることはできる。
 「幕末」に魅力を感じるのは彼ら志士たちの生きざまに魅力を感じるからに他ならない。そして、美しく潔い生きざまがある一方で、卑怯で弱い生きざまも存在する。
 徳川慶喜については、少々厳しい見方をしたのかもしれない。それは、人間としての徳川慶喜を否定したわけではなく、政治家として、人の上に立つ者として論評したのである。
 しかし徳川慶喜もいまは筆者の問いに応えることはない。
 筆者の役割は、彼らの生きてきた意味を問い直すことであり、そのために彼らと「対話」することであった。なぜ篤姫は島津斉彬の意向に反した行動をとったのか。なぜ龍馬は西郷に薩長同盟締結を口説けたのか。なぜ西郷は冷酷な顔と慈愛の顔を持っていたのか。なぜ阿部正弘は大名たちに情報を開示したのか。なぜ井伊直弼は安政の大獄を強行したのか。なぜ大坂城から慶喜は遁走したのか。
 彼らには彼らの言い分があり、強さも弱さも含めて一人の人間なのである。だから、どこか一点だけ抜き出して称賛したり批難することは本来、相手の人間を知る上ではあまり良いこととは言えない。
 しかし、人間は土壇場になると本性が現れる。
 自分も苦しいときに部下を見捨てなかった西郷の本性は正に慈愛の人であり、大坂から遁走した慶喜の本性は、自分が可愛いということである。

前著に引き続き、「政治力」という面から、今回は維新で活躍した人物たちを照射してみた。そこには陰影の激しい人物も光輝く人物も存在したが、読者にも輪郭の一部が伝われば、これに優る喜びはない。
筆者はなお彼らと対話を続けていきたいと思う。そして読者諸氏も、本書を通じ、また類書を通じて対話を愉しんで戴けれ幸いである。


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