リーダーの持つ優しさ 平成15年4月29日号

 犬養毅は背が低く、しかも利発であったために、若い頃は生意気に見られた。
 慶応義塾在学中に、そんな犬養を塾生がからかった。
 犬養は一切相手にしない。なぜ無視をするのか、とその塾生が尋ねると、
「決心のない喧嘩はするものではない」
 と犬養が言う。さらに塾生たちはしつこく犬養をからかう。中の一人が、
「偉そうに『決心』なんて言いやがって。一体その『決心』とは何だ」
 と言った。
 犬養は、机上の切出刀でやおらその塾生の掌を刺し貫いて言った。
「これが決心だ」

 犬養毅は決して気の長い、包容力豊かな男ではない。
 舌鋒鋭く、取引よりも政治理念を優先する政治家であった。
 敵も多い。
 犬養が政治経歴のわりにほとんど小党の党首であったことが、
 それらのことを裏付けている。

 しかし、苦労人の出であった犬養は決して使用人に声を荒らげることはなかった。
 使用人といえども家族同様に思いやりをもって接していた。
 このことは、政治家としてまったくタイプの違った同時代の原敬と共通している。

 原は政治理念よりは現実の事象を解決するためにどんな手段でもとったし、
 必要ならば誰とでも妥協した。藩閥政治の巨魁・山県有朋との親密な関係はよく知られている。
 犬養とは違って金も相当派手に配っていた。
 しかし、たとえば同居人の誰かが病気で臥せっていると、
「音がしては病人にさわる」
 と言って廊下に筵(ムシロ)を敷きつめさせたという話が残っている。

 使用人、同居人、あるいは秘書、部下。
 そういう人たちに優しさを示せない指導者は、立派なリーダーになれない。
 これは理念や思想とはまったく関係がない。
 人間性において貧しい人は、決して人の上には立てないのである。


 虚脱感 平成15年11月28日号

 『昭和を生きた新選組』という本を上梓した。
 新選組で生き残った隊士たちを調べてみると、だいたい隠居か、軽輩の官吏になっている。
 人の生き方は十人十色。あの激動期に負けた側にいた人々が、明治の御世に虚脱感を覚えたのは無理からぬところである。

 だが、そうではなく、明治時代にも日本近代化のために戦い続けた新選組生き残りがいた。
 その物語である。詳しくはこちらをクリックして戴きたい。

 さて、実は勝った薩長側にも虚脱感があったのではないか、と最近思うようになった。
 例えば、西郷隆盛はなぜ鹿児島に帰りたがったのか。
 西南戦争の原因については諸説入り乱れているが、とにかく西郷が鹿児島に帰ったのは、
 この「虚脱感」ではなかったか、と思うのである。

 敗者は、たとえ虚脱感を覚えてもそのまま静かに世を捨てれば済む。
 が、勝者は、目的達成後も組織に責任を持たなければならない。
 目的が大きければ大きいほど、達成後の虚脱感も大きいはずで、  明治維新を遂げたあとの西郷が感じた虚脱感は、想像を絶する凄まじさがあったのではなかろうか。

 つまり、敗者の虚脱感は「諦念」、あきらめの境地で、悔しいがしかし静かにしていれば害はない。 一方の勝者の虚脱感は「疲労」であり、これは放っておくと、自身と組織の壊滅をも意味する。
 勝つこともまた、楽ではないのだ。


 辞める 平成15年11月17日号

中曽根さんが辞めた。
私のまわりの意見は二分されている。
「まだ頭ははっきりしてるし、あんな経験豊富な人を辞めさせるとは」
というのと、
「どうしてもっとスンナリ辞めないのか」
というもの。

私は、以下のように考える。

(1)議員は何歳になろうが、国民から選ばれれば議員の資格がある。
(2)ならば、衆議院は全部小選挙区にすれば、選挙民が直接議員を選べる。
(3)つまり今の選挙制度が悪い。

何のために参議院とソックリな選挙制度にしたのか判らないが、
こんなややこしい、ばかばかしい制度はさっさとやめた方が国のため、
とは、極論であろうか。

 自民党を利用する 平成15年5月6日号

  歴史の教科書を見ていると、明治維新で大久保利通や西郷隆盛が突然活躍し出して、明治政府の高官に何の不自然さもなく収まるという図式がある。
 まあ、たった300頁前後で古代から現代までを著すのだから、途中をはしょるのは仕方あるまい。 だが、ご存知の通り西郷も大久保も、日本の中央政界から見れば外れも外れ、薩摩・島津家の、今で言えばただの平社員であった。
 維新前の徳川政権から見れば、家来の家来、つまり陪臣ということになる。
 しかも。
 身分が固定化していた当時、平侍から上に登っていくことがどれほど困難であったことか。
 その困難を大久保はどのように打ち破ったか。

 鹿児島に天台宗の南泉院という寺があって、その友坊に吉祥院という寺がある。
 ここに、乗願という坊さまがいた。
 乗願の弟は大久保利通の同志である税所篤で、その伝を頼って大久保は乗願のもとに通った。
 通って囲碁の手ほどきを受けた。
 なぜ囲碁なのか。

 乗願は藩第一の碁客と言われ、囲碁の名人。
 当時、実質的に薩摩藩を支配していた島津久光は、この乗願を召してよく囲碁をやった。
 つまり、大久保は囲碁を通じて久光に接近することを狙ったのである。

 大久保は言う。
「囲碁は世捨て人のすることで、壮年有為の士が楽しむべき業ではない。
 ・・・しかし、国事を計画するにあたっては、久光公に接近しなければならぬ。
 それには、囲碁の道によって進むしかない」(『甲東逸話』31頁より意訳)

 大久保利通は、大まじめに囲碁をやった。久光も頭の切れる男だったから、あまりにも囲碁が弱ければ、相手にしてもらえないのだ。
 そしてついに、大久保利通は島津久光の懐に飛び込み、久光嫌いの西郷隆盛を蔭に日に支援しながら維新の大業を果たすのである。

 さて、現代である。
 自民党という日本の風土に根ざした政党が、中央政府は無論のこと、地方の津々浦々にまで影響力を及ぼし今日に至っている。
 これを乗り越えるだけの破壊力ある政治勢力は未だ生まれない。
 何が足りないのか。何が必要なのか。

 いま壊さなければならないのは、自民党なのかどうか。
 私は、仮に政権が民主党になっても、政・官・財の密接な関係は変わらないと考える。
 多少、汚職が減る程度であろう。
 なぜなら、経済活動に政治がどう関与するかを決めるのは政治であり、その具体的な行動(規制の強化、緩和)は官僚によって成されるからである(もちろん、国家予算の配分も関わる)。
 つまり、自由主義経済をとる以上は、政・官・財は密接に関係せざるを得ないのだ。

 では打破すべき構造とは何か。
 それは、「戦後体制」だと言っていい。
 たとえば、現実に合わなくなった憲法を解釈だけで乗り切ることの無理。
 たとえば、戦後無数に増殖した特殊法人やファミリー企業の弊害。
 たとえば、北朝鮮による拉致被害者を犠牲にしてもその場しのぎの平和を欲した外交。

 では、この構造をどうやって壊していくのか。
 確かに、戦後がもたらした恩恵・弊害、いずれにも自民党は大きく関わっている。
 否、主体的に作り上げてきた張本人である。
 しかし、それでもなお国民から多くの支持を得ている理由は、総体的に見て、まあまあやっている、という評価を得ているからである。

 ならば。
 大久保利通的に考えて、この自民党を利用しない手はない。
 自民党を利用して、自民党が築いてきた戦後体制を打ち壊すのである。

 確かに小泉純一郎総理はそう唱えていた。
 だから多くの国民が支持をしたのだ。
 自民党という、時々事故もやるが、まあ一番安心なブランドの中にあって、その悪い病根を断つ、自民党的戦後体制を打破する、ということだったのだ。
 かつて中曽根康弘もそう言って首相になり、空前の議席を自民党に与えた。

 自民党によって、自民党的戦後体制を打破する。
 これがキーワードであり、単に自民党を壊せばいい、では、国民の支持は得られない。

 繰り返すが、「自民党を潰せ」では票にならない。
 自民党が作って来た戦後体制を壊す、ということなら勢力を得、政権をとれる。
 そのための一番の近道は、自民党を乗っ取ることである。
 権力を嫌っていては、権力は得られない。

 大久保は言う。
「(政権獲得のための)その手段方法の如き、あえて問うべき場合ではない」
 と。

 言葉は尽くされているのか 平成15年5月1日号

 またぞろ、特殊法人のムダ遣いが露顕した。
「雇用・能力開発機構」という特殊法人が、何億、何十、何百億という金をつぎ込んで作った施設を、1万円とか千円とか、そういうフザケた額で売りに出している。
 猪瀬直樹氏の著作(「週刊文春」等)に詳しく書かれているので、詳細はそちらを参照戴きたい。

 私が問いたいのは、こうした特殊法人、あるいは現在、ムダと言われる公的組織が生まれた理由と、小泉改革の行方である。
 こうした組織はほぼ例外なく、日本経済が右肩上がりの時期に大いに伸長し、増殖した。
 そして、民業圧迫もなんのその、やたらと箱ものを作り、世界に冠たる土建国家となった。
 「予算がある」「お金がある」から、何か作ろう、となったのだ。

 特殊法人や役人たちの発想はこうだ。
「日本にはお金がある。
 国民がせっせと働いた金で、ほんのちょっとだけ甘い汁を吸おう。
 なーに、『公共の宿』の一つや二つ作ったところで、日本はつぶれやしないさ」

 大昔。とある国のとある村で、中央から派遣されてきた村長が、素晴らしい行政を行なった。
 やがて中央に帰ることになった村長に対して、村人は感謝の気持ちを込めて、一人一杯づつ、ワインを樽の中に入れ、それを村長に贈ることになった。
 贈られた樽を開けて、村長は驚いた。
 中身は大量の水だった。
「おれ一人くらい水を入れたって、別に味は変わるまい」
 と、村民の誰もが思ったからである。

 おそらくこの村民たちも、そして今問題になっている特殊法人に勤める天下り官僚も、個人としてみればどこにでもいる善良な人々であろう。
 しかし、人間の邪心は集まれば大悪になる。

 さて、そこで最近気になる話がある。
 小泉首相に正面から反対の弁をまくし立てている亀井静香氏の発言である。
 彼はムダのない公共事業に思い切って金を使えば、必ず景気が良くなる、と言う。日本に足りない大型国際空港の建設などである。「日本には1400兆円もの個人資産がある。つまり日本には世界有数の金融資産がある。この資産を活用して内需を拡大しろ」という話である。

 私は経済の専門家ではないので、はっきりと断定することはできないが、これも一つの手であろう。
 しかし、当然赤字国債で建設費を賄うのであるから、その借金を将来返すのは、いまの40代から若い世代が主となろう。その点を亀井氏は、
「公共事業の恩恵にあずかる子や孫に、借金を負担をさせるのは当然だ。子どもを甘やかすな」
 と言う。
 なぜか「カチン」ときた。
 子や孫が欲しないモノを作っておいて、「それ、くれてやる。金はお前らが払え」では、40代以下の世代は反乱を起こすしかない。

 さらに問題なのは、「個人資産が1400兆円もある」のだから、安心してバンバン遣え、と聞こえることである。
 これは、「日本経済はどんどん成長してお金があるから、公共の宿を作ったって大した影響はない」と考えた特殊法人の人々と同じ発想になる危険性がある。

 ただ、亀井氏に少し期待をしてもいい要素はある。
 それは彼が、平成13年度予算で公共事業を2兆8000億円分削ったという実績である。
 今回も「あれを作る、これを建てる」、という話の前に、
「これとあれはムダだから止めます。その代わりこれは絶対やります」
 ということを言えば、信用は増大するのである。どうも舌足らずの感が否めない。

 アジアのハブとなる空港は必要だ。その必要性についてきちんと説明をし、また不必要で削減するものを提示し、言葉を尽くした上で、積極財政を言うべきではないのか。
 小泉氏と亀井氏に共通しているのは、「言葉を尽くす」という姿勢の欠如である。
 国民は、言葉を欲している。ウロウロしている間に、言葉の卓越した某都知事が出てくる可能性がある、と考えているのは、私だけであろうか。

 小沢一郎氏は消え去るのか 平成15年2月11日号

 政治史を見ていると、時々面白い人物に出くわす。
 憲政の神様、と言えば尾崎行雄だが、この人はおよそ組織人としての適性が欠如していて、 50余年にわたった政治家生活の中で、政党の党首として手腕を振るった期間は短い。
 尾崎の場合、自ら望んだのかどうかは別として、大政党の幹部はおよそ不似合いの硬骨漢であった。

 中野正剛という人も面白い。
この人は時の首相・東條英機に反発して、自刃に追い込まれた政治家だが、 彼は独自の思想を持って「東方会」という政治団体を作った。
 最盛期、衆議院で12の議席を得るところまで行った。
 中野正剛がそこまで行けたのは、彼の持つ思想・信条の強固さ、あるいは強硬さにあり、 同時に政権を得るまでに至らなかった理由も、ここにある。

 広川弘禅は戦後の一時期、吉田(茂)自由党の中で最大規模の派閥を形成した。
 しかし広川は、それまで支持していた吉田茂を裏切り、鳩山一郎支持に寝返ってから 急速に勢いを失い、昭和27年の選挙を最後に、落選を繰り返して政界から消えた。
 広川が派閥を形成したのは権勢によってであり、権勢を失った広川から 人々が去ったのは当然の成り行きだった。

 尾崎行雄は組織人としては失格だが、節を曲げぬ強さがあった。
 中野正剛は強固な思想・信条を以て、小なりとはいえ、政治団体を主宰し時代に名を残した。
 広川弘禅は、権勢によって勢いを得、権勢を失うと同時に政界から消えた。

 ここに、小沢一郎という政治家がいる。
 かつて、自民党最大派閥の実質的な差配をし、また自民党幹事長を歴任した男。
 自民党を飛び出して、小政党から出発し、自民党政権をひっくり返した男。
 再び自民党が勢いを得ると同時に、権勢を消失していった男。

 小沢氏には、是非は別にしても政策によって日本を動かす、というビジョンがある。
 そして、思想・信条について世論にアピールしている。
 他方、かつての同志が離れていく、という現象も起きている。

 小沢氏が尾崎行雄のように、正論を尽くして孤高を守るのか、 中野正剛のように小なりといえども強固な思想・信条によって政党を維持し発言し続けるのか、 それとも広川弘禅のように、やがてもろくも消え去るのか。
 あるいは再び政権奪取を目論むのか。
 今後の去就を注目したい政治家の一人ではある。

 あえて、鳩山氏を論ず 平成14年12月12日号

 ひどい話だ。
つい二カ月ちょっと前に選ばれた自分たちの代表を、
「気に入らない」
と言って引きずり下ろす政党とは、一体何なのか。

 引きずり下ろして、次の代表は二カ月前に二位になった菅候補である。
「このままでは次の選挙は戦えない」
「民主党がダメになってしまう」
 そんな話は聞きたくない。聞きたいのは、
「民主党などどうなってもいい。この国をどうするのか、それを論じたい」
 ということだ。

 かつて大隈重信という政治家がいた。早稲田大学の創設者であり、総理大臣経験者である。
 その大隈も、自分がつくった政党から追放されるという経験を持つ。
 追放されてから大隈はどうしたか。
 大隈は天下国家を論じて止むことはなかった。
 常に日本の前途を論じ、その議論は世上を賑わせた。

 大隈にしてみれば、一政党の代表などというものは、小さな入れ物にすぎなかった。
 彼の器は、天下の器であった。少なくとも本人はそう自覚していた。

 願わくば鳩山氏が、大隈公のごとく、常に天下を論じて止まぬ闘志と意欲を
 失わないで戴きたい。
 大隈公も政党内の調整は極めて下手くそで、もし調整能力が政治力のバロメーターだとすれば、たぶん政治家失格者であったろう。
 しかし、人間の本領は、その発揮すべき場に至ってはじめて発揮されるのだ。
 党首という場が能力発揮の場でないとすれば、もっと他にその「場」がある。
 他日を期して、天下を論じ続けて戴きたい。

 余談だが、大隈公は演説が大の苦手であった。
 政治家となって当初は、二、三言葉を発すると真っ赤になって座ってしまう、というほどだった。
 それがやがて大雄弁家になるには、大変な努力があったと聞く。
 もし鳩山氏が再び世に自説を問うならば、「演説が苦手」と言って避けるのではなく、
 大隈公の如く自らを磨き、雄弁家として再登場されんことを祈って止まない。

平成14年11月8日号
「幸せは永く、挨拶は短く」
 と言ったのは竹下登。
 この「真夜中のカップらーめん」も、一話づつ短めに、
 しかし内容は濃くいきたいと思います。

 この春、ある若手経済人の集まりで、アンケートをとりました。
 支持政党で1位は自民党。
 これは予想の範囲でしたが、次の質問に、
「あなたがもし選挙に出るとしたら、どの政党から出ますか」
 と問いかけたところ、1位は民主党でした。

 実際に選挙に出たいという人は居なかったので、このアンケートの結果は、

「頼りになるけど嫌われている自民党」
「好感は持てるけど頼れない民主党」

 という分析が成り立つでしょう。

 どうすれば好かれて頼られる政党になれるのか。
 戦前、政友会と民政党という二大政党がありました。
 その政友会の総裁となり、総理になった人物の一人に、犬養毅がいます。
 当時の政友会の選挙広告は、右上に犬養の似顔絵があり、
 広告の中心に大きな文字がドカンと書かれていました。
 その文句。

「犬養先生を守れ」

 自民党には何となく、小泉純一郎という手駒を大切にしよう、という空気がありますが、
 民主党にはそれが希薄のようであります。
 それは民主党員が悪いのか、党首が悪いのか、判断しにくいですが、
 しかし、党内ではなく国民に対して「党首を守れ!」と自信満々に言ってのける
 その気迫が無ければ、政権は到底握れないことでしょう。

 古来、歴史を動かしたのは理屈ではなく人々の感情であり、
 感情と正しい理論が合致した場合にのみ、幸福な政治が行なわれた、と考えますが、
 いかに。

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